Japanologie

テュービンゲン市
テュービンゲン市は、ドイツ連邦共和国の南部、バーデン・ヴュルテンベルク州に属する人口8万人超の大学町です。ネッカー川沿いにあるテュービンゲン市は、シェ-ンブッフの森とシュベービッシュアルプの台地の間に位置し、豊かな緑に囲まれた中世の面影を残す町です。大学町はドイツ各地にありますが、テュービンゲン大学はキャンパスを持たず、町の各所に大学の施設が点在し、まさに大学と町が共存しているといった風です。

学生をはじめ教員、職員などの大学関係者は人口の3割 を占め、町の公園や川縁のベンチなどにはテキストを広げて勉強をする学生の姿が見うけられたりします。その昔、哲学者のヘーゲルや天文学者のケプラーもこの大学で勉強しました。その他、町にはヘルダーリンの塔や、ヘルマン・ヘッセが働いていたことのある本屋など、ドイツの著名人にゆかりのある建物も多く残っています。

テュービンゲン大学
テュービンゲン大学は、後にヴュルテンベルク公国領主となる、通称「鬚のエバーハルト伯爵」によって、1477年に創設されました。このことから、大学の正式名称はエバーハルト・カールス・テュービンゲン大学といいます。19世紀初頭にテュービンゲン大学は大きな躍進を遂げました。1817年には四つの既存の学部(プロテスタント神学部、法学部、医学部、哲学部)に加え、カトリック神学部と国家行政学部が新設され、1863年にはドイツの大学の先駆けとして自然科学系の学部を設けることになりました。1805年には、大学病院が最も古い大学の施設である「アルテ・ブルゼ」(1478年建造)の中に設置されました。今日、大学病院は別のところにありますが、この建物は現在でも大学施設として使用されています。

テュービンゲン大学のシンボルは、エバーハルト公がエルサレム巡礼の旅を行った時に見たといわれる棕櫚の木です。棕櫚の木は、古代ヨーロッパとキリスト教の象徴体系において生命の木、ならびに四つの徳目「利発、節度、勇敢、正義」を象徴しています。またそれは、エバーハルト公がテュービンゲンに創り出そうとした「知のオアシス」を象徴するものでもあります。また、彼のモットーであった「Attempto」というラテン語の言葉は、何かを思い切って試す、あるいは行うという意味ですが、これもそのまま大学のモットーとして大学の広報誌など様々なところに使用されています。