Japanologie

テュービンゲン大学日本学科について

テュービンゲン大学における日本研究は70余年の歴史を辿ることができます。1943年から1945年にかけて、オットー・クルツが日本事情に関して講義を行ったことがその始まりとなります。1952年の夏学期からはクリストフ・ケンプ、松延慶二らにより日本語・日本文学など日本学の基礎科目が開講され、それは1960年夏学期から東洋文献学科の常設開講科目となりました。その後、幾度か形体を変えつつ、1985年の秋に日本学部門は東アジア文献学科の所属を離れ、文化学部に属する独立した学科となり、現在に至っています。

日本学科、ヤパノロギー(Japanologie)と呼ばれますが、正式名称は日本文化研究所といいます。現在専任の教授数は3名。研究重点領域は、「精神史・宗教史」、「言語学」および「異文化間コミュニケーション・ニューメディア」となっています。テュービンゲン大学日本文化研究所はこれらの三つの充実した研究重点領域と語学教育を備え、それを基盤として今後も意欲的に取り組もうとしています。

また、学科として独立を獲得したこれまでの成果に立ち、今再びアジア関係の諸近隣学問領域との協同を目指し、2003年夏学期に発足した文化学部内の「アジア・オリエント地域文化研究センター」にも積極的に取り組んでいます。なお、2010年の大学の改組によって、日本学科を含める「アジア地域文化研究所」(AOI, Institute of Asian and Oriental Studies)は新しく成立した人文学部の一部になりました。

センターの歴史

テュービンゲン大学日本研究センターは、1993年10月、日本における最初のドイツ及びヨーロッパの大学付属施設として同志社大学今出川キャンパス内に設立されました。この約30年の間に、700人を超える学生が当センターにおいて、多くを学び課程を終了してゆきました。テュービンゲン大学の履修課程の一環として京都で、生きた日本語の習得を目的として勉強し、日本文化により親しんできました。

その上、テュービンゲン大学日本研究センターは留学生のためのみならず、テュービンゲン大学と同志社大学或は日本全国の提携機関との学術交流の拠点となっています。

センターの学生

当センターでのコースは、テュービンゲン大学日本学専攻の学生を対象とするもので、当センターでの学習および京都滞在は、これらの学生の単位習得課程の一環となっています。学生は、センターに在籍することにより、学業期間を延長する必要がなくなり、また早い時期に生きた日本語と日本文化に接する機会を得ることができます。

(2010年度秋学期にて終了しましたもう一つのコースは、「大学卒業者のための異文化日本語プログラム」という一年生大学院課程の後半期のコースでした。この学生たちは、テュービンゲン大学で日本語と日本の基礎を学び、京都で一学期間日本での生活を通してそれを深めまして、その一年間で得たものを各人の専門分野に生かしていくことがねらいでした。)

当センターでの就学期間、参加者には「特別学生」として同志社大学から学籍が与えられ、学生証が交付されます。さらには、大学図書館などの利用もできます。